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【西ローマ】グランドキャンペーン第15夜(最終回) 

12年に及ぶ激戦の後
皇帝ハビトゥス率いる遠征軍は小アジアをついに攻略し
シリア北端の都市アンティオキアに到達した。

シリア、パレスティナ、そしてエジプト、リビア
地中海帝国の完成において、後はこれらの地域を残すのみとなった。

しかし、もはや兵は疲れ切っていた。
この先に存在する敵はペルシャ連合の小国群などではない。

ヨーロッパとアジアにまたがる長大な防衛線を維持しつつ
東方の盟主サーサーン朝と剣を交える力は既に残されていなかった。

既に帝国の拡大は限界に達しようとしていた。

現実的な問題として帝国の西端
ガリア・ゲルマニア方面では
フランク族、サクソン族、デーン族といった蛮族がしばしば侵入を繰り返し
国境を脅かしていた。

20160723223738_1.jpg

皇帝ハビトゥスはアジアへの夢を捨て
ペルシャ連合に対し和平の使者を送った。

そして停戦が為ると、
蛮族征伐の為、軍を西へと向けた。

帝国西方の防衛を確固たるものにするには
祖父ホノリウスの代に失ったライン川西岸を奪還し、
更に海を渡ってブリタニアを拠点にしているサクソン族、フランク族に打撃を与える必要があった。

AD480年秋
ローマ帝国軍4個軍団は属州ベルギカへ侵攻
ブリタニアへの補給路を分断した後

翌AD481年
雪解けを待ってブリタニア上陸を開始した。

兵は東方での長き戦いで疲れており、
決して士気は高いとは言えなかったが、
西方の蛮族は、
重装備で戦術に長けた東方の軍隊に比べれば、
組み伏せやすい相手であった。

ローマ軍団は、そこからわずか3年でライン川西岸地域と、
ブリテン島の南半分を完全に制圧。

20160726225624_1.jpg

そしてこの戦いが、ローマ帝国の歴史における最後の拡張となった。

AD395年に東西に分裂した帝国のうち
経済的に発展していた東帝国はフン族の侵入によって混乱し
その混乱に乗じて帝国内の旧王国が次々と独立を宣言
帝国に反旗を翻した。
結果、混乱を収めることはかなわず、数年の後に滅亡した。

西帝国は、ゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けつつも
イタリア・ガリアで踏みとどまって国力を蓄え
後に失地の殆どを回復。
更にギリシャ人や、東方の国々との戦いの末に
旧東帝国領の約半分を併合し、東西帝国の再統一を果たした。

20160726225449_1.jpg


第二次パクス・ロマーナの訪れ

この後世界は
ローマ帝国とサーサーン朝という二大国の均衡の下
時に小競り合いを繰り返しながらも、およそ150年の平和を保つ。

20160726225504_1.jpg

アラビアの砂漠から、三日月の旗を掲げた軍勢が現れるその時までは。

category: Total War: ATTILA

Posted on 2016/09/22 Thu. 23:48  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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