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雑記-MMOにおけるギルド間外交について 

雑談というか雑記です。

私はその昔、リネージュ2というMMOのジグハルト鯖でプレイしてました。
もうおそらく5年以上前になるかと思いますが…

私がプレイしていた頃のジグ鯖というのは
全12くらいあった日本鯖のうち
最も秩序的と言われ、他鯖からの移住者が多かった鯖でした。

秩序的と言われた所以は、
一般プレイヤー同士の争いというのはかなり限定的で、
血盟戦は対害、対不正くらいでしか起こらず、
また一般プレイヤーによるそれらの排除活動が盛んであった為かと思われます。

そのジグ鯖も、現在は一般同士の血盟戦が起こるほどに混乱しているようです。

際立った害、不正者(中華業者とあからさまに繋がっている不正ユーザーの集団など)という
"わかりやすい共通の敵"が居なくなると、
好戦的なプレイヤーの中には、利権等が被る他プレイヤーを挑発する者が現れたり等、
一般プレイヤー間での火種は生まれやすくなるのかもしれません。

ツイッター等で知り合いから何となく経緯は伝わってくるのですが、
当事者ではない為そのあたりへの言及はやめておきます。

私にとって関心があるのは、5年も経過して尚、
当時からあった戦争連合(戦争血盟の集合体)がそのまま存続していること…も、勿論驚きに値することですが、
更に驚かされるのは、そのような混乱した状態にあっても一定の外交らしきものが行われていることです。

リネ2引退から数年を経て移住したArcheAge(K鯖東勢力)での、
自分達を取り巻く環境ではそういった、筋書のある外交が殆ど起こりませんでした。

(リネ2でいう血盟はArcheAgeでは遠征隊と言いますが、
私は小規模ながら遠征隊を組織していました)

初期には、勝手に遠征隊メンバーを攻撃してきて
「話し合いたくありません」と言った挙句そのうち自壊してしまった大手遠征隊をはじめ、
やりとりの途中で返信すらしてこなくなる遠征隊長なども居ましたし、

数ヶ月前には争いになっていた某有力遠征隊(今もそうなのかはわかりません)との停戦を話し合う場で、
実際にこんなやり取りもありました。

うち「敵対との戦闘に直接介入するのは勿論、敵対している人をあなたの遠征隊に入れないで下さいね」
相手「わかりました。そちらも争いに関することを今後蒸し返さないで下さいね」
うち「了解です。じゃあこれで合意ですね。停戦しましょう」
相手「わかりました」

勢力チャットで停戦を発表
数日後、その遠征隊が敵対を遠征隊に入れていることが発覚。

うち「どういうことですか?」
相手「領地防衛の為と、報酬としてアイテムを取らせる為に一週間くらい入れました」
うち「せめて一言くらいあってもよかったのではないでしょうか(内心、…)」

という具合に、中身も成果も無く、とても外交と呼べるようなものではありませんでした。

相手遠征隊の所有物である領地防衛の都合などこちらには何の関係も無いことですし、
あまりに都合のよい約束違反で、
その時の私の感情としては、"呆れ"に近く、
同じようなやり取りを繰り返すのがもはや面倒になってしまったので、
その問題はそれっきりでした。

そういう人達と以降仲良く遊びたいかと言われると…そんなはずはなく。

MMOというジャンル自体が現在は下火であり、カジュアルゲームが流行している状況ですが
プレイヤー間の関係までカジュアルになりつつある、ということなのかもしれません。

ArcheAgeはもう家の維持くらいしかやっていませんが
次に何か腰を据えてMMOをプレイする機会があれば、もう少し外交とか対話が機能する環境であることを願うばかりです。

category: その他

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janre: ゲーム

Posted on 2016/08/24 Wed. 00:23  edit  |  tb: 0   cm: 2  

【西ローマ】グランドキャンペーン第13夜 

先にコンスタンティノポリスへ入場したのは
ペルシャ連合軍の先鋒アルダン王国軍であった。

しかし、数日の後
遅れてコンスタンティノポリスへ辿り着いたローマ帝国軍は
未だ占領体制の整わぬアルダン王国軍を陸海から攻撃

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ローマ軍海兵が港への上陸を開始すると
アルダン軍守備隊は降伏し
第二のローマは再びローマ帝国の手に戻った。
軍団は市民から歓喜をもって迎えられた。

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この美しき都は約100年の間に、東ローマ帝国からダキア
ペルシャの同盟者アルダン王国
そして西ローマ帝国へと支配者が移り変わる中でも
その輝きを失うことはなく、
東方世界への入口であり、
戦略的要衝であると同時に東西交易の中心であり続けた。

ローマ帝国にとって
ローマとコンスタンティノポリス

この二つの都市を所有するということは、
分裂した帝国が再び一つになったことを意味していた。

AD466年冬
帝国の再統一を成し遂げた皇帝セルウィウス・ファビウス・ルクルスは
エジプト遠征の為、アフリカに戻ったが
北アフリカの都市マコマデスで病に倒れ、偉大なるその生涯を終えた。

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category: Total War: ATTILA

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janre: ゲーム

Posted on 2016/08/20 Sat. 21:24  edit  |  tb: 0   cm: 0  

【西ローマ】グランドキャンペーン第12夜 

サーサーン朝ペルシャ帝国

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大国パルティアを滅ぼしたその帝国は
アケメネス朝ペルシャの再興を掲げ

東方の数多の小王国を従え
または同盟によって
着実にその勢力圏を広めてきた。

4世紀末から5世紀初頭
フン族の侵入によって
東ローマ帝国が弱体化すると

小アジアのポントス
シリアのパルミュラ
そしてエジプトといった旧王国群が次々と独立を宣言したが

サーサーン朝を中心としたペルシャ連合軍は
独立間もないそれらの国々に攻め入り
滅ぼした。

以来シリア、エジプトといった豊かな地方はサーサーン朝が
小アジアやアラビア半島などは同盟国によって統治されていたが

ローマ帝国のバルカン半島侵攻によって
小アジアの西半分を支配する
ダキア、マケドニアが弱体化すると

ペルシャ連合軍は直ちに西方に向けて進軍を開始
小アジアの西半分を掠め取った。

東西大国から挟撃される形となったダキア、マケドニアは為す術もなく崩壊

東進するローマ帝国軍と
西進するペルシャ連合軍は
コンスタンティノポリスで衝突した。

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category: Total War: ATTILA

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janre: ゲーム

Posted on 2016/08/06 Sat. 18:46  edit  |  tb: 0   cm: 0